Miyasaka

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アドアチーブってどんな会社?

デザイン会社という概念を覆していると思います。

私が持っているデザイン会社のイメージですが、
デザイン会社=デザイナーがいて、デザインの仕事のみをしている。
デザイン会社=若手はいわれるがまま。
デザイン会社=夜が遅い。
デザイン会社=お客さまの仕事のためには、徹夜も辞さず。
デザイン会社=デザイナーは売り上げ管理はしない。
デザイン会社=社内はいつも静まり返って、キーボードの音だけが響いている。

ざっとこんな印象ですが、アドアチーブ株式会社は違います。
デザイナーはお客様の仕事のみではなく、自社の仕事もこなさなければなりません。
若手も常に第一線です。
夜はいつも終電ギリギリもナイですし、もちろん徹夜はしません。
デザイナーは売り上げ管理をします。
社内は明るく、見学希望やインターンシップの希望が後を絶ちません。

いったい何をしているのかを詳しく知りたい方は、私、宮坂までお気軽にお問い合わせください。
私自身は、デザイン会社としての新しいビジネスモデルだと感じています。



休みの日の過ごし方って?

日曜日は、朝から卓球。
このパターンを15年続けています。
ほかには自転車での遠出など。
休みの日は必ず最低2時間は何かで汗をかくということにしています。
それが自分のストレス発散なので。



いま生きていて一番幸せだなぁ〜と感じる瞬間は?

一週間分の洗濯が終わった時。



最後に一言

わが社は一言では語れません。



プロフィール

1965年大阪生まれ。

小学校3年生より地元の警察署で柔道を始める。

小学校5年のときに、朝日放送で夢路いとし・喜味こいしさんの子供相撲番組があり、10人抜き達成で自転車が
もらえるので応募。みごとテレビ初出演。ちなみに1人も抜けなかった。このときのアシスタントは桂ざこば(当時、朝丸)さん。

中学校1年の夏休みに滋賀県長浜市に引っ越す。

中学3年のときに相撲部が県内で優勝が狙えるまでになったので、部員を強化したいということからお声がかかる。
当時私は陸上部に所属していたが、レギュラー5人と対戦して、見事?3勝したため、その日から相撲部に。
2度県大会の団体戦で優勝し、近畿大会へ出場。

地元の公立高校へ進学し、柔道部に。
高校時代は、のほほんとした学生生活を送る。

私立大学に合格。
大学相撲部の監督より、便箋6枚で入部のラブコールが速達で届く。
柔道部の軽量級でがんばろうと決めていたため、お断りをする。
この時学生相撲に体重制があるとは知らなかったので、知っていれば間違いなく入部していた。

4年で卒業予定だったが、柔道部顧問の先生に単位を落とされ留年決定。

大学4回の時、西日本学生大会で個人戦3位。

大学4回生の3月に、初めて海外旅行。
個人旅行で2週間中国へ。行きも帰りも船。
機銃を持った軍隊さんに1時間尋問されるという経験と、海兵さんと仲良く海水浴という経験全くの無計画だったため帰りの船に乗り遅れ、日本大使館に駆け込み無事帰国。

大学で紹介された薬品会社に就職するも、3ヶ月で退社。
この会社の翌年の会社案内に、今年入社した期待のルーキーとして、紹介されている。
今思えば、恩をアダで返すという常識はずれな行動をしたと強く反省。

再就職で、日本経済新聞社の広告代理店に入社。
商社、不動産、メーカーなど担当し、35歳までの12年間広告の世界を堪能。

36歳の時に、28歳までの募集条件のデザイン会社に強引に自分を売り込み入社。
自社発行の不動産情報冊子の営業として勤務。
強烈。という印象しか残らないほど厳しく、またこの時にデザイン会社のデザイナーをいろんな角度から観察。

39歳の時、リンパ系のガン発症。
約3ヶ月休職。
偶然別の治療に来ていた時に、婦長との何気ない会話から、強引に人間ドックを勧められ発覚。
3ヶ月遅ければ、おそらく今自分はいない。この時の感謝の気持ちは永遠です。

これがきっかけで、偶然の出会い、偶然のふれあいを大事にするという考え方を持つようになり、
一度死んだと思えば何でもできる。という考えも当然持つことができたのです。

40歳でアドアチーブに入リましたが、最近までここが最後の働きの場所であって、やめさせられないようにしないと。
という気持ちが強かったのではないかと思います。
今は会社の成長の為には、自分が皆を引っ張っていくという思いに切り替えての毎日です。



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